俵屋宗達
たっぷりとした 潤いのある水墨画・・・
美術雑誌で見つけた 古田亮さんの「俵屋宗達」を
読み 風神雷神の後に雲龍図を描いた説に納得してしまいました
タイミングが良すぎて ちょっと 恐かったです
宗達の両作の線をなぞってみたので あきらかに 雲龍図が後と言えます
なぜか 雲龍図を描いてみたら 風神雷神がやりたくなってしまって・・・
動きが同じなんですよねー 逆は無理があります 雲龍図の方がはるかに自由です
でも金地をやって 水墨をやるところが宗達のすごいところですね
等伯も最終は 水墨・・・
宗達と大先輩の等伯の関係はあったのか? ここ誰か教えてくれませんか?!
もうすぐ 7月 今回は シロテテナガザル を描きました
今日は久しぶりに海北友雪の雲龍図襖を見に
妙心寺麟祥院に院生とおじゃましました
ご住職 奥様に 親切にご案内いただき
贅沢な時間を過ごしました
こんばんは、等伯(1539-1610)は七尾から上洛して本法寺で制作を始める。千利休とも親交があり利休が寄進した大徳寺三門の「龍図」や柱絵の「金剛力士像」を描いている。1606年には「柳橋水車図屏風」を琳派風に描いてます。宗達が主に活躍したのは1600-1630年との説も?光悦が40才の時に宗達と厳島神社の「平家納経」の修理をしている。光悦(1558-1637)が50才代では宗達と合作で「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」を制作している。宗達は光悦の従姉妹を妻にしたとも?本法寺は本阿弥家の菩提寺で光悦が作庭し、光悦の黒茶碗が残されている。光悦や利休を通じて親交があったのでしょうか?私も興味深いところです。芳賀先生が「芸術の国日本」で宗達の「田家早春図」を日本文化であるわび、さびの境地で論じられています。今春、承天閣美で利休筆「孤舟載月」や墨の濃淡のみで雪化粧、夕やみ、手前の木々をえがいた牧谿の「江天暮雪図」を見ました。等伯はもちろん宗達も牧谿を手本にしたのでは?失礼いたします。
ご無沙汰してます。お元気でご活躍のご様子、何よりと慶んでおります。菅原さんは古田亮さんとお会いになったことがおありですか?
>fumio.kohno様
いつもコメントありがとうございます。本法寺の波龍図は等伯説が有力のようです。ということはこれに倣って雲龍図を描いた宗達は等伯と面識があったのか?知りたいですねー
前田青邨のたらしこみは宗達へのあこがれ・・・ いや納得です。
>takahata様
お久しぶりでーす!滋賀も蒸し暑いですがなんとかのりきっています。お元気ですかー?
古田さんには当然お会いしたことありません。宗達のことマチスのこといっぱい聞いてみたいです。お知り合いですか?
いつでもご紹介しますよ。菅原さんのカタログは差し上げておきました。
>takahata様
あっありがとうございます!金沢21世紀美術館に行こうと見ていましたら
またまた古田さん登場しますねー ファンレター書いておきます。
暑中お見舞い申し上げます。
先日は福岡にてシアトル美術館所蔵の日本美術名品展に行きました。本阿弥光悦書、俵屋宗達画《鹿下絵和歌巻》や《烏図》6曲1双などが里帰りして素晴らしかったです。
華岳の言葉をかりれば「自己の精神を生かしだすために画道の修行はにがい、苦しさに耐えて進むところに価値がある....」。私には宗達や等伯はどんな修行をしたのでしょうか、想像もつきません。暑さもまだまだ続きそうです。お体ご自愛ください。失礼いたします。
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